勉強しなくていいよと言われて、斜め上の勉強をしてしまう子供

委員長キャラだったのか - どうせポエムですよっとでは大ボケをしてしまった。うーん。読解力がなさすぎだ。

申し訳ないのでまじめに書こう。

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1

ブログ間の応答を見ていると、なんだか「真面目に勉強している委員長タイプ」の人と「不真面目で勉強しなかったけど、俺成功したよ。へへへ」という人のバトルのような感じがしていたけど、それは違うのね。

大人から、「勉強ができるのだから、ほかのこともちゃんとできるよね?ほかの子の面倒をちゃんと見てね」と過剰に期待されてそれに応えられなくて、悩むというわけでもないのね。僕はどちらかというとこっちが大きい。

小学校の先生に「勉強しなくていいよ」「私の教えたことだけをやれ!」「周りの子供とレベルを合わせろ」「子供は元気に外で遊べ!」とか言われちゃった話なのか。しかし、小学3,4年でそういうことにストレスを感じてしまうなんて早いなぁ。その頃は、何も考えず走り回っていたよ・・・。陰に陽にいろいろとあったのだろうけど、気付けなかったなぁ。中学受験を一応したので、それに対して不満を持っていた女の先生にヒステリーまがいのいじめがあったことはあったけど、見事に脳内スルーをしていたなぁ。親は結構怒っていたけど。優等生の子は割と優遇されたのだけど、前に書いたとおり「アホの子」だったので、「何でお前が!ほかの事はできないのに!」みたいなことはあった。

僕的に辛くなってきたのは、中学のころ。中学受験に失敗して、普通の公立中学校に入学した。中学受験の勉強をしちゃうと、公立の中学校での勉強が適当でも結構何とかなっちゃうのだよね。多少頭が良かったから、一夜漬けの手抜きでも上位に食い込めた。範囲が決まっている定期試験よりも範囲がない・勉強のしようがない実力テストの方ができちゃったりして、真面目に勉強している人はアホですね。ぷぷぷ。みたいな感じだった。
さらに、「私の教えたことだけをやれ!」「周りの子供と合わせろ!」と、公立の中学校だったので、世間のランダムサンプリングの平均に合わせろってことなんだから、真面目に勉強するなんていう動機は生まれなかった。少しやるだけで十分だったからねぇ。さらに先の上位の勉強をしても周りと合わせないとだめなんだから、結局無駄でする必要がない。

とはいえ、何かしらの知的欲求というものはあるわけで、それを満たす必要があった。しかし、それは通常の学校の勉強とリンクしてはいけない。無駄知識と戯れ続ける必要があったのだ。つまり、オタクになるしかなかった。
オタクになるしかなかったといっても、今、一般にメディアで言われているようなオタクではない。

持論なんだけど、今のオタクには大きく二つわかれると思う。それは知識オタクと共感オタクだ。最近よく言われるオタクとは、ニコニコ動画が象徴的なように共感オタクの方だ。はてな界隈にいるオタクは、なんだかんだいって知識オタクだ。とはいえ、趨勢は明白に共感オタクの方なんだけどね。*1詳しくはそのうち書くかも。

大澤真幸のオタクの解釈で「オタクは近代と世界と一体になろうとして知識を収集している」というのがある。鉄オタは鉄道という近代の象徴を知り尽くすことで近代と一体に成れた。SFオタは近代の進歩と未来への期待と一体に成れた。こんな感じだ。たとえジャンクな知識であろうとも知識を収集することで世界にアクセスでき、それが快楽だった。これが知識オタクだ。そのため、「自分はどれだけ世界(知識)を知っているのかゲーム」(知識ゲーム)をするのが大好きだ。(今は「どれだけ世界(私たち)と共感できるかゲーム」(共感ゲーム)だ。)

話を戻すと、僕は、中学のころ*2、まさしく知識オタクの道を突き進んでいた。小学校のころは見向きもしなかった図書館に頻繁に通うようになり、歴史の本とか小説とか評論とかを(あまり意味もわからずに)読みまくっていた。
これも結構いちゃもんがついた。一番ビックリしたのは、中学の担任先生から(重度のツツイストになっていたので)「筒井康隆はもう読むな」と家庭訪問の時にいわれたこと。当然、スルーしましたがw
学校の勉強なんて片手間でできる。必要以上の勉強をするな。ということがあって、学校で勉強すること以外の勉強(世界と繋がること)に夢中になっていった。
昔の本が好きだった子供、無駄知識をため込む知識オタクというのは結構こんな感じになっていったのだのかなぁと思う。どうでしょう?多いと思うのだけど。

今から思えば、その情熱をもうちょっとまともな学問の方に向ければよかったんじゃないの?とか思える。科学技術の進展のためにもさ。

もしかしたら、大人になってもオタク趣味に耽溺しちゃう人も、社会の「勉強するな!」という声に答えているのかもしれない(てきとう*3)。持てあましている知識欲の向かい先だ。だからといって、「まともな勉強をしろ」とかいわれても、「やだよー」としかいえないだけどね。「まともな知識・学問」と「ジャンクな情報」の差、獲得できる利得の差がよくわからなくなっている・実感できなくなっているからね。(なんというポストモダン


そんなわけで、勉強するな、成績がいいのはかっこ悪いというメッセージは、子供に「斜め上の勉強」=「オタク的分野の勉強」をさせてしまうことになってしまい、まっとうな学問から遠ざけてしまうことになりますよ。気をつけてくださいね。ってこと。学校の勉強とはリンクしない知識の知っているかゲームに耽溺していきますよ。そのうちに、重要性の強弱の判別も出来なくなりますよ。っと。こちらは、「いい大学に入れるだけの勉強をしておけば十分です」「達成しても利得が見えてこない、見えないなら楽しい方がいい」という社会的問題もあるのだけど。


気になるところは、今の中高生にとってこの話が成り立つのか?という疑問だ。これはよくわからない。救われない人はいつの時代にもいるだろう。しかし、僕が中高生のころは、インターネットがなかった。*4今の(若い)オタクの多勢は、共感することに主眼をおいており、知識の大系的収集には興味がないように思える。ググればいい。ウィキペディアを見ればいい。ダウソすればいい。知識欲が旺盛な子はただネットに耽溺して共感ゲーム*5にのめりこんでいくのかもしれない。ネットの情報の膨大さに圧倒されて知識から逃げていくのかもしれない。あるいは、そんなこと無関係に知識を黙々と収集していくのかもしれない。もしかしたら、同世代の共感オタクと僕ら年上の知識オタクのだめさ加減を見抜いて、必死にネットをつかってまともな勉強をしているのかもしれない。
ここがよくわからない。


追記

  • こんな風な勉強の仕方だったので、見事に、高校で落ちこぼれになりました。高校は「私の教えたことだけをやれ!」「周りの子供と合わせろ!」のままだったのだけど、平均が高すぎた(笑)。大学は運だったなぁ・・。
  • 最近の超ライトオタクについての言説周辺に思うところがあったので長くなった。
  • 性差による違いはあるのだろうね。女の子は、基本共感ゲームをやっていることになっているのだし。大嫌いといっても逃げられないというジレンマ。
  • 知識オタクと共感オタク二つにきれいに分けているわけではない。それぞれが混じり合っている。割合が強いのはどちら?いう感じ。周りに他人がどれだけ必要か?ということでもあると思う。
  • オタク文化の性的な魅力問題はあえてスルーしています。ここで書きたいことからずれるし。
  • オタクの通常の意味からはちょっと広範囲かもしれない。
  • あと最近の若いオタクは馬鹿だーとか書きたいわけでもありません。ルールが違うってだけ。

追記2

  • ブコメが知識オタク・共感オタクの方ばかりだったので、明示的に結論を入れてみた。

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*1:だから、はてなの居心地がよかったりする。

*2:予兆は小学校の高学年ころから。すべての元凶は光栄。

*3:あまり本気で受け取ってはいけない。

*4:時代的にパソ通やモザイクはあったけどやらなかった。

*5:共感ゲームも本質的に特定集団の平均値にあわせるもので、「本能に従え」「勉強しすぎるな」というのが根底にあり、突き抜けていくことはない。そのため場所を選ぶことは重要。洗脳しちゃうというのもアリだけど。