案外昔にも、似たようなことがあったのかもな。

「リアルのゆくえ」を読んでPart2 - 18歳宅浪生の徒然なる日々

ブクマでも書いたが、非常に面白い。
ゼロ年代の想像力」を読んだせい、というのもあるが、宇野常弘のいうポストモダンの生き方があまりにも古典的な価値観*1であったことを考えると、過去の歴史の中で、何度も経験したことではないのか?という疑問が沸いてくる。ポストモダンというのは、言葉からわかるとおり、モダン(近代社会)の後である。このように考えると、今の状況というのは、モダンなしには発生し得ないと思いがちだが、そうでもないのかもしれない。歴史上何度も経験し、それに対処する知恵を人類の歴史の中で作り上げていったのではないのか?その一つが仏教なのではないのか?そんな気がした。*2

大乗仏教の精神に基づいて、東氏の享楽に耽ろうとする態度を批判するのも小気味いい。東氏の感じている「そう考えるしかない」という諦観は十分理解できるのだが、そういわれてしまうのは仕方ない。


ふと思う。「大乗仏教の精神」は「大きな物語」なのであろうか?
情報、知識、知恵、というように、序列があるのではないのか?「大乗仏教の精神」は知恵のレベルであろう。情報技術において情報、知識の表現方法は開発されているのだが、知恵レベルの表現は、まだまだである。*3物語は、情報と知識のパッケージである。しかし、物語は、それを集約した知恵のレベルのものとも思えない。
(この議論の仕方は乱暴かなぁ・・)
まぁ、とりあえず、「大きな物語」の上位なるもの、って何かあるのじゃねーの?ってことが言いたい。

id:schizo-08_08 氏の志向は、宇野氏に近い。宇野氏は(誰かを)救いたいのだろう。(方法論がちょっとアレなんだが・・・)しかし、文章を読む限り、無神論者すぎる。*4これは決定的な違いである。呉智英論語、schizo-08_08氏の仏教、信じるもの(確信)があるなしでは、説得力が大きく違う。(真に心に届くのかは別の問題ですが・・)

と、「リアルのゆくえ」を読んでもいないのに書いてみました。結局、宇野氏への言及ばかりじゃんw


チャンドラーの「長いお別れ」を読書中 - 18歳宅浪生の徒然なる日々
読んだ。
一応指摘しておくと、社会学は社会の分析であって、救いとかは考えていない。むしろ、結論は救われないね、というものになりがちである。なので、そもそも過剰な期待である。本として売れるためには、「人生本」である必要であるため、売れている書き手は上手なんですけどね。

あと、複雑系の本を読むといいと思った。複雑系へのパラダイムシフトは十分興味深いものとなるだろう。その関連で、ネットワーク分析も知っておくといいだろう。科学の最先端は、還元主義ではなく、相互関係性に重きを置いている。「これなんて東洋思想?」みたいな感じがしてくるところも多いはずだ。とりあえず、これ。

複雑な世界、単純な法則  ネットワーク科学の最前線

複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線

勉強をがんばってください。

*1:徹底的に脱臭された宗教というかなんというか

*2:東浩紀の本を読んでいるときは、情報技術に基づいた想像力で語られているので、そういうことは全く考えなかったのだが・・・・。

*3:現状、知識のレベルでも十分凄いということになるのだし、AIとしての難問の一つだろう。

*4:ナルシシズムの変質? 参照