太陽と海の教室

たまたま、土曜日、ぼんやりとフジテレビをつけっぱなしにしていたら、
太陽と海の教室」の1話、2話を再放送していた。ちょー面白いな。
織田裕二がフリーダムすぎるwwwww


見ていて思ったのだが、宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」(まだ読み途中・・)がいい感じに補助線になる。
価値の中心軸というのはどんどん崩壊していく、ポストモダン的状況の中で、人間は価値の不在に耐えられないので、2000年以降の宇野のいう「決断主義」的に、価値を選択していかなければいけない。しかし、個々人がそれぞれ価値の選択することは、社会総体で見たら、バラバラで調整がとれないものになる。その選択した価値は人生の価値になってしまう状況では引くに引けない。引いたあとには、相手への服従と、自己の消失が待っている(勝ち組負け組)。この衝突を避けるためには、他人に無関心になること(引きこもり)と、シラケる(価値の徹底した相対化)しかない。かりそめの価値である、受験勉強をしなくてはならないという、「競争に勝ち抜く」ことでしかつながれない、学校が舞台である。


そこに、熱い、太陽男、織田裕二が教師としてやってくる。


彼の戦いは、「勝ち組負け組」「引きこもり」「価値の徹底した相対化」など現在日本社会が息苦しくなってしまった「価値観」のとの戦いである。
彼は「自分が後悔しないこと」「誇りを持てるようになれ」を価値の支柱にして、フリーダムに振る舞う。
このフリーダムさが武器である。
現代社会の抱える諸問題は、結局は見ている変数(世界)が少なすぎるからであると、最近俺は思うようになってきている。
もうちょっと視野が広ければ、何とかなるじゃないのか?っていう気がすることばかりだ。
その意味で、フリーダムに振る舞う織田裕二は希望であり、眩しすぎる。

このドラマの主体は?

ドラマのページを見たら、「月9でおよそ17年ぶりの学園ドラマ!!」とか書いてあるけど、主体は学生の中高生ってわけはないわな。
わかりやすく演出しているけど(三話は特に)、「東大卒の頭の悪い新任女教師」だろう。
これはドラゴン桜と同じ構造だ。ドラゴン桜の主体は受験生だと見る向きは結構多いかもしれない(宇野はそんな感じだ)が、ちゃんと読めばわかるとおり、(というか、続編のエンジェルバンクで明示されてしまっているがwww)、「頭の悪い女教師(今は転職代理人)」や、子供の保護者である。連載が進むにつれて、受験生よりになっていったりもしたが、そもそも「モーニング」でやる限り、中高生であるわけがないwww
子供の変革を通して、大人に対して、意識変革を迫るものである。
その意味で、太陽と海の教室も、月9としての役割(F1F2層のためのドラマ)を十分に果たしている。
でも、俺みたいな人でも見れるような仕組みにはなっているな。

なんだかアニメのようなマンガのような

しかし、最近のドラマはほとんど見ていないけど、これはマンガ・アニメっぽいな。演出とかそういうのが、わかり安すぎる。出演者もいい感じに美形だし、学校も清潔で、オシャレすぎて、絵で描いたようだ。まぁ、「太陽と海の教室」というタイトルに合わせた感じで演出しているのでしょう。太陽のまぶしさと爽やかなんだよね。

俺は、アニメを見るように見てしまいましたw


ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

ドラゴン桜(20) (モーニング KC)

ドラゴン桜(20) (モーニング KC)

追記

上は、4話を見る前の感想。
4話をみると、「決断主義を緩やかに乗り越えること」をそのまま、織田裕二に喋らせていますね。宇野氏がどうこのドラマを切るかは楽しみでありますね。現実への応援歌っぽいところが、好きそうだし。

どうでもいい感想。

4話主人公のピアノ少年の彼女が、「鈴木先生」の聖少女、小川 蘇美にそっくりで吹いた。小川さんはあんなに黒くない!